ねつをのブログ

インプット意識の高い就活生がアウトプットします。

グローバル人材とは何かという話

最近、企業の説明会に行くと我社は「グローバル人材」を必要としています、と言われる。そんな「グローバル人材」になるために、多くの大学生が留学を志す。そして外資系企業に就職してトップスクールでMBAを取得し帰国する、らしい。

そんな絶賛「グローバル人材」に成長中の留学帰りの友人に感想を聞くと、「プレゼンの班が多国籍で○○人は全然仕事やらないし、もうほんと大変だった~」とか、「日本を俯瞰して見れた、海外で日本は全く注目されていない」とか言うわけです。いつも思うんですが、日本でアメリカの選挙戦を注目している人がどれだけいるのか、と。

一方で、留学して外国人のみの空間に飛び込むと、いつも使わない神経を使って戦闘モードになるんだろうな、と思います。言葉も文化も異質な国で一年くらいやり抜いた時、もの凄い達成感が得られるんだろうな、と留学をしたことの無い筆者は想像します。

この、慣れないものを経験した時の感覚って凄く大切だと思うんです。例えば、初めて女の子をナンパした時。一度足を止めさせたら、会話を続けなくちゃいけない。ドキドキと緊張がない交ぜになりながら、脳細胞をフル活性させて一生懸命言葉を紡ぐ。気づいたら女の子のメールアドレスが手元にあるとき、言いようのない達成感を噛みしめる。頭の芯が熱くなる。例えば、サッカー部でAチームの練習に混ぜてもらった時。ワンプレーワンプレーが激しい。パススピードが速い。ディフェンスの寄せが速い。そんな中、先輩から絶妙なパスが来る。トラップに全神経を集中させて、シュートする。ゴール。すると、体の芯から震えるような喜びが溢れ出す。

そんな感覚って何て表現すればいいんでしょう。「アハ体験」とでもしておきましょうか。反対に、「慣れ」が生じると良くない。「あ~、所詮こんなもんね」みたいな。そうなった途端、脳細胞の新陳代謝が無くなると思うんです。

 最近、筆者はこんな「アハ体験」をしました。「ブログをやって、広告収入で小遣いを稼げたらいいよね。」と文系の友人に話すと、「攻めのコンテンツで勝負したら。競馬レースで統計学を使って賭ける、みたいな。」と言われる。面白いと思うんですが、筆者と思考回路が一緒なわけです。これでは、「アハ体験」は起きない。ところが、他キャンパスのテクノロジーに強い友人に話すと、「だったらキャンパス中のパソコンをネットワークで繋げて、同時にクロールしながらアクセスしたらpv数が稼げるんじゃねーか」と顔を上気させて言うわけです。思考パターンがまるで違う。隣で「アドセンス IPアドレス」とか本気で調べている。聞いてみたら、彼は体育の人気授業を履修する為に、30秒置きに学校の履修登録ページをクロールし、キャンセルが出た瞬間に履修を申請するプログラムを書いて毎学期体育に励んでいる。こんな、こちらの想定を超えて来る人と出会った時、「思考の外」に出る。「アハ体験」をするわけです。

高校時代、カンボジアの大学生と話した時。「何で日本語を勉強しているの?」とこちらが聞く。すると、「カンボジアの経済はこのままでは、中国の操り人形のままだ。稼ぐ力をつけないと。まずは、農業を産業化する必要がある。」と言う。「カンボジアには、世界トップクラスの水利がある。なのに、農業は未だに牛馬を使って遅れている。きちんとした技術を持てば、農業で稼げる国になれるはずだ。その為に日本で灌漑技術を学びたい。だから、日本語を学んでいる」と真っすぐな瞳で見据えて来る。鳥肌が立った。本気で国を憂えて自分がフロントランナーとして、変革を起こそうとしている。そんな奴らがいるもんだと。

「ヒト・モノ・カネ」の移動が自由になった時代に、単なる移動だけじゃ意味がないと思うんです。岩倉使節団の頃とはわけが違います。大切なのは、「思考の外」に出ること。日本においても海外においても自分の想定を超える相手と出会った時、最高のアドレナリンがでる。頭と体の芯が熱くなる。勿論、コミュニケーションの手段として英語は大切だと思います。でも英語以前に自分との「違い」を本気で楽しめなければ、と思うんです。

服を買う時、店員が声をかけてくる。いつも無視する。自分がアパレル定員をやってみる。声をかけて無視されると、凄く傷つく。コンビニのレジをやってみる。釣銭を渡す時にお客さんの小さな「ありがとう」で元気になれる。いつも、家事で忙しそうな母親。自分が食事を作ってみると、洗い物の量に気が滅入る。立場を変えて日常生活を見るだけでいつもの自分との「違い」がある。すると、ちょっとした「アハ体験」をするわけです。

今、インターネットで海外の大学の授業が簡単に受けられるようになった。と同時に、国境が曖昧になって難民が溢れている。そんな時代のグローバル人材は、物理的な「国の外」だけでなく「思考の外」へ出かけることにワクワク出来る人、そして年をとっても尚一層楽しめる人が「真のグローバル人材」ではないか、という話でした。