ねつをのブログ

インプット意識の高い就活生がアウトプットします。

家庭教師をして思う、日本の受験システムの問題についての話

筆者は昨年度から一年間、家庭教師をしております。担当している子は高校受験を目指している中学校二年生。担当科目は英語です。指導を続けていると生徒とその親御さんと筆者の間に、「受験」に対しての認識差があることが分かりました。凄く大きな違和感を感じたので、整理したいと思います。

まず、筆者が考えるに、日本の受験システムは以下の能力を鍛えるためには世界最高レベルだと考えています。

  • 成果を達成するためのPDCAを回す能力

担当の生徒は決して自頭は悪くないのに、成績が伸びない。そこで、観察をし続けると、致命的な欠陥が見つかりました。テストが返ってきた後、悲喜交々な表情を浮かべて筆者に訴えかけるのですが、後はそれをしまってしまうだけ。なぜ、今回は点数が取れなかったのか、どこで取れてなかったのか、それはなぜ出来なかったのか、次に向けて何を改善すればよいか、このPDCAを考える思考癖が無い。だから、点数を見たらそれで思考停止してしまう。筆者の友人などにヒアリングをすると、難関大学に合格する生徒は卓越してこの能力がある。そしてさらに優れているのが、次何の教材をどうやればいいかを自分の弱みを把握して、実行可能なプランニングをする。これに気づいてから、テスト返却後は反省と次回に向けたプランニングに一時間割いています。おかげさまで偏差値が10~20上昇したので、意外といい教育法かもしれません。

  • 継続した努力をするための能力

筆者の周りの友人に受験時代のことを聞くと、毎日10時間以上勉強する生活を1年以上続けたという人がざらにいます。今の時代、誘惑が一杯あるにも関わらず、これは本当に凄いと思います。ひっきりなしにLINEの通知はくるし、twitterは開くたびに違うタイムラインを見せてくれる。この短期的な誘惑を抑えて長期的な努力をするには、スマホを開くよりも楽しい快感を受験勉強に見つけないといけない。この客観的に見たら苦痛な作業を楽しく続けるためのインセンティブを設定する能力が受験生活で磨かれると思うんです。

 これら能力は社会に出るに当たってとても大切な能力だと思います。が、この能力は手段だと思うのです。親御さんはこの手段を学ばせることを家庭教師に求めるし、生徒もそれを期待している。でも、筆者は手段よりも大切なもの、それが目的であり、「目的設定能力」だと考えています。

  • 目的設定能力

 実は、お恥ずかしい限りですが、筆者は高校・大学受験をしたことがありません。といっても、小学校3年生の時に「サッカー選手になりたい」と父に言ったところ、「サッカー選手でいられるのは、せいぜい30歳前後まで。そこから、どうやってお前はお金を稼ぐんだ?選手を引退した後を考えろ。学をつけないと仕事はないと思え」と痛烈に言われ、当時W杯でキャプテンを務めていた宮本恒靖選手を見習って大学を卒業しようと思いました。調べてみると、 大学を卒業するには、中学・大学受験もしくは、高校・大学受験と2回受験する事が一般的。2回も受験して、サッカーを続けられないのは嫌だ。1回で済まして、心ゆくまでサッカーをしようと考えてエスカレーターの中学校を受験し合格しました。以来、高校卒業するまで、サッカーを続けました。

そんなバックグラウンドを持った筆者が生徒を前にしたときに疑問に思うのは、「なぜ受験するのか」、「なぜ嫌いな科目を勉強するのか」ということ。返ってくるのは、「お母さんが言ったから」「周りがやっているから」という答え。そこで、生徒のお母さんに「なぜ受験させるのか?」と問う。すると、「いい大学に行って欲しいから。」、「なぜいい大学に行って欲しいのか?」と聞くと、「安定した人生を送ってほしいから」 と返ってくる。その安定してほしい為に、大学卒業するまでに平気で約1000万円の教育投資をする親御さんがいる。

すると、親子の前で筆者は言う。「親御さんを投資家だと思ったら?親御さんがリターンとして求めているのは配当金ではなく、子供のイキイキとした顔でしょ?だったら、1000万円を自分の好きなことに使えると思ったら、人生楽しくない?」とえらそうなことを承知で生徒に言ってみる。すると、生徒は目が覚めたような顔をする。

筆者みたいなことを口走る家庭教師もなかなかいないと思うのですが、「目的意識」は凄く大切なことだと思うのです。筆者の周りを見てみると、意外とそれを持ってない人が多い。そして、それこそが就活で一番大事なものだと思うのです。どうやら、それを日本の受験システムは教えてくれない。だから、就活前にみんな一斉に自己分析をし始めて「人生の目的」を設定し始める。そんなもん、大学3年生から考えるもんじゃない。

一方で、多くの学生が就活を受験戦争の延長上だと考えている。つまり、就職偏差値を意識する。自分の大学と同じくらいの偏差値の企業に入りたい。考えてみたら、受験における偏差値は、合格した生徒が入試前の模試で獲得した偏差値の平均から得られる。それを、あるはずのない虚構の就活偏差値で測ろうとする。その時に気にするのが、「人気就職ランキング」や「難関就職ランキング」。親は自分が就活した当時のランキングを気にし、子は現在のランキングを気にする。そんな潜在意識があるのに、自己分析を繰り返して働く目的を見つけようとするから、入ってからおかしくなる。

日本の受験システムは、上から降りて来る業務を遂行する能力を鍛えるには素晴らしいと思います。ですが、それで済むのは追い付け追い越せで労働力が必要だった高度経済成長期前後。今後日本の市場がシュリンクする中で企業と新卒の学生が安定するために必要なのは、「仕事を創りだすこと」だと思うんです。その時に必要なのは、真っ白な人生をどういう風にデザインするか、の「目的設定能力」だと思います。

だからこそ、家庭教師としてそれを指導したいと思うのです。生徒に問いかけを続けると、「人が知っていない事を自分が知っていることが快感なんです。」と生徒がボソリと言ってくる。「特に、歴史や考古学を研究してみたいんです。」とまたボソリ。「それを研究できる大学は日本にあるの?」と聞くと「早稲田や東大にあるっぽいです。」とまたまたボソリ。じゃ、「どんな高校を目指すの?」と聞くと「そういう大学に入れる確率が高い高校です。」とキリッと答える。いいぞ14歳!日本の枠組みにとらわれず、羽ばたけ!と老婆心を持つ筆者は目を細めながらニヤニヤするわけです。自分もこの子に負けないように頑張らないとな~と思うわけです。

1000万円の投資をする親は手段を学ばせることを教育に求めがち。本当に子供のイキイキした顔を見たければ、子供に思考停止させてレールを敷くのではなく、レールの候補をいろいろ見せてあげて、子供自身の頭で目的を設定する能力を身に着けさせたら世の中の大学生はもっとハッピーな就活ライフを送れるのに、と思った話でした。