ねつをのブログ

インプット意識の高い就活生がアウトプットします。

家庭教師をして思う、日本の受験システムの問題についての話

筆者は昨年度から一年間、家庭教師をしております。担当している子は高校受験を目指している中学校二年生。担当科目は英語です。指導を続けていると生徒とその親御さんと筆者の間に、「受験」に対しての認識差があることが分かりました。凄く大きな違和感を感じたので、整理したいと思います。

まず、筆者が考えるに、日本の受験システムは以下の能力を鍛えるためには世界最高レベルだと考えています。

  • 成果を達成するためのPDCAを回す能力

担当の生徒は決して自頭は悪くないのに、成績が伸びない。そこで、観察をし続けると、致命的な欠陥が見つかりました。テストが返ってきた後、悲喜交々な表情を浮かべて筆者に訴えかけるのですが、後はそれをしまってしまうだけ。なぜ、今回は点数が取れなかったのか、どこで取れてなかったのか、それはなぜ出来なかったのか、次に向けて何を改善すればよいか、このPDCAを考える思考癖が無い。だから、点数を見たらそれで思考停止してしまう。筆者の友人などにヒアリングをすると、難関大学に合格する生徒は卓越してこの能力がある。そしてさらに優れているのが、次何の教材をどうやればいいかを自分の弱みを把握して、実行可能なプランニングをする。これに気づいてから、テスト返却後は反省と次回に向けたプランニングに一時間割いています。おかげさまで偏差値が10~20上昇したので、意外といい教育法かもしれません。

  • 継続した努力をするための能力

筆者の周りの友人に受験時代のことを聞くと、毎日10時間以上勉強する生活を1年以上続けたという人がざらにいます。今の時代、誘惑が一杯あるにも関わらず、これは本当に凄いと思います。ひっきりなしにLINEの通知はくるし、twitterは開くたびに違うタイムラインを見せてくれる。この短期的な誘惑を抑えて長期的な努力をするには、スマホを開くよりも楽しい快感を受験勉強に見つけないといけない。この客観的に見たら苦痛な作業を楽しく続けるためのインセンティブを設定する能力が受験生活で磨かれると思うんです。

 これら能力は社会に出るに当たってとても大切な能力だと思います。が、この能力は手段だと思うのです。親御さんはこの手段を学ばせることを家庭教師に求めるし、生徒もそれを期待している。でも、筆者は手段よりも大切なもの、それが目的であり、「目的設定能力」だと考えています。

  • 目的設定能力

 実は、お恥ずかしい限りですが、筆者は高校・大学受験をしたことがありません。といっても、小学校3年生の時に「サッカー選手になりたい」と父に言ったところ、「サッカー選手でいられるのは、せいぜい30歳前後まで。そこから、どうやってお前はお金を稼ぐんだ?選手を引退した後を考えろ。学をつけないと仕事はないと思え」と痛烈に言われ、当時W杯でキャプテンを務めていた宮本恒靖選手を見習って大学を卒業しようと思いました。調べてみると、 大学を卒業するには、中学・大学受験もしくは、高校・大学受験と2回受験する事が一般的。2回も受験して、サッカーを続けられないのは嫌だ。1回で済まして、心ゆくまでサッカーをしようと考えてエスカレーターの中学校を受験し合格しました。以来、高校卒業するまで、サッカーを続けました。

そんなバックグラウンドを持った筆者が生徒を前にしたときに疑問に思うのは、「なぜ受験するのか」、「なぜ嫌いな科目を勉強するのか」ということ。返ってくるのは、「お母さんが言ったから」「周りがやっているから」という答え。そこで、生徒のお母さんに「なぜ受験させるのか?」と問う。すると、「いい大学に行って欲しいから。」、「なぜいい大学に行って欲しいのか?」と聞くと、「安定した人生を送ってほしいから」 と返ってくる。その安定してほしい為に、大学卒業するまでに平気で約1000万円の教育投資をする親御さんがいる。

すると、親子の前で筆者は言う。「親御さんを投資家だと思ったら?親御さんがリターンとして求めているのは配当金ではなく、子供のイキイキとした顔でしょ?だったら、1000万円を自分の好きなことに使えると思ったら、人生楽しくない?」とえらそうなことを承知で生徒に言ってみる。すると、生徒は目が覚めたような顔をする。

筆者みたいなことを口走る家庭教師もなかなかいないと思うのですが、「目的意識」は凄く大切なことだと思うのです。筆者の周りを見てみると、意外とそれを持ってない人が多い。そして、それこそが就活で一番大事なものだと思うのです。どうやら、それを日本の受験システムは教えてくれない。だから、就活前にみんな一斉に自己分析をし始めて「人生の目的」を設定し始める。そんなもん、大学3年生から考えるもんじゃない。

一方で、多くの学生が就活を受験戦争の延長上だと考えている。つまり、就職偏差値を意識する。自分の大学と同じくらいの偏差値の企業に入りたい。考えてみたら、受験における偏差値は、合格した生徒が入試前の模試で獲得した偏差値の平均から得られる。それを、あるはずのない虚構の就活偏差値で測ろうとする。その時に気にするのが、「人気就職ランキング」や「難関就職ランキング」。親は自分が就活した当時のランキングを気にし、子は現在のランキングを気にする。そんな潜在意識があるのに、自己分析を繰り返して働く目的を見つけようとするから、入ってからおかしくなる。

日本の受験システムは、上から降りて来る業務を遂行する能力を鍛えるには素晴らしいと思います。ですが、それで済むのは追い付け追い越せで労働力が必要だった高度経済成長期前後。今後日本の市場がシュリンクする中で企業と新卒の学生が安定するために必要なのは、「仕事を創りだすこと」だと思うんです。その時に必要なのは、真っ白な人生をどういう風にデザインするか、の「目的設定能力」だと思います。

だからこそ、家庭教師としてそれを指導したいと思うのです。生徒に問いかけを続けると、「人が知っていない事を自分が知っていることが快感なんです。」と生徒がボソリと言ってくる。「特に、歴史や考古学を研究してみたいんです。」とまたボソリ。「それを研究できる大学は日本にあるの?」と聞くと「早稲田や東大にあるっぽいです。」とまたまたボソリ。じゃ、「どんな高校を目指すの?」と聞くと「そういう大学に入れる確率が高い高校です。」とキリッと答える。いいぞ14歳!日本の枠組みにとらわれず、羽ばたけ!と老婆心を持つ筆者は目を細めながらニヤニヤするわけです。自分もこの子に負けないように頑張らないとな~と思うわけです。

1000万円の投資をする親は手段を学ばせることを教育に求めがち。本当に子供のイキイキした顔を見たければ、子供に思考停止させてレールを敷くのではなく、レールの候補をいろいろ見せてあげて、子供自身の頭で目的を設定する能力を身に着けさせたら世の中の大学生はもっとハッピーな就活ライフを送れるのに、と思った話でした。

 

 

 

 

 

 

卒論たるもの、大志を持って取り組むべしと父に薫陶を受けた話

巷でとあるバンドマンの卒論の動向が話題になっておりますが、就活生はそろそろ卒論のテーマ決めのシーズンでして。先日、卒論への心構えを父に説かれたわけです。

筆者の実家はとある田舎にあるのですが、祖父がたたき上げの商売人なわけでして。戦後の焼け野原の日本を見て、「これからは家が建つ」と木材を買い込んで商売を始めた。駐屯している米軍兵の奥様方を見て、「これからの日本の女性は化粧をするようになる」と化粧品の事業を立ち上げまして。「商売人は先見性と行動力でなんぼ」とよく父にいっていたそうです。とにかく新しモノ好きで、当時では珍しい車を乗り回していたそう。

そんな商売人の血を受け継ぐ父に、卒論のテーマの相談をしたところ、一喝されまして。「こんなテーマで卒論書こうと思うんだけど、どうかな?」と食後に質問すると、「それが、何になるの?」と一刀両断。曰く、「世の潮流にそぐわないから、何の役に立つのか分からない。」とのこと。父によると、今後のビジネスモデルを一変させるような、それくらいの卒論を書く意気込みを持て、と言う。

父の言う、世の潮流とは目下東京オリンピックを取り巻いているらしい。1964年の東京オリンピックでは、新幹線が通った。最先端の技術を駆使した新幹線は多くの人の目に触れた。それが、日本のハイレベルな交通インフラの礎になり、海外に輸出するまでになった。当時、オリンピックついでに明治神宮前を歩く外国人観光客が足を止めるところがあった。「原宿」。ヒップホップともポップカルチャーとも似つかない不思議な世界観がそこにあった。日本の「Kawaii」文化が初めてグローバルに広がった瞬間だった。もう一人、東京オリンピックに商機を見出した人がいる。セコムの創業者、飯田亮氏。外国人が大量に東京に押し寄せる、その時に当時の警察の人員ではセキュリティーを維持できない。だから、民間警備がこれからの日本に必要。そして、何度も霞ヶ関に足を運んで、法を変えさせた。それが今のセコムに繋がった。今、戸建ての玄関口に当たり前のようにセコムのシールが貼られている。

戦後の日本にも大人物がいた。昭和天皇玉音放送を聞き「これからだ!」と叫び、鉄かぶと防空頭巾などをかなぐり捨て、社員の先頭に起って社内外の清掃をはじめた人がいる。企業がモノを売るために広告が必要だ、そのニーズを感じて日本の広告業界を変革した吉田秀雄氏。それが今のメディアを牛耳る巨人、電通になった。

世の中の流れを感じ取る。そして、次何が売れるか、それが世のため人のためになるか、そんな心意気が商売人に必要だ、と父は言う。

2020年の東京オリンピックに向けて、残り4年を切った。企業は自社の技術をどのように使えば、その時にソリューションを生み出せるか、日々頭を悩ませている。そして、技術革新のスピードが速い。人工知能やバイオテクノロジー、クリーン技術。おじさん達はキャッチアップできない。でも、国から補助金が出る。期限も決まっている。だからこそ、若者の先見性が必要であり、今の就活生が入社後すぐに即戦力になる。技術をどう使えばオリンピックを快適に出来るか、それが2020年より後の自社の命運を握る可能性がある。だから、アイデアを就活生に求めたい、と父は言う。

そのアイデアを練る場として、卒論がいいんじゃないの、とのこと。東京オリンピックをきっかけにビジネスモデルを一変させるような提言をできる卒論、そして、それが日本が抱える課題を解決し得るスキームであり、官僚がお前に頭を下げて読みに来る、商売人を目指すならそれくらいの意気込みで卒論を書け、と。つまり、卒論たるもの大志を持って書くべし、ということ。

就活生は企業に入るために、自分の過去を分析する。でも、次のビジネスを具体的に考えている人は少ない。どんな部署に配属されるかわからないから、と言い訳される。今の電通を作った吉田秀雄氏は、「仕事は与えられるものではなくて、自分で創るもの」と言う。では、どうやって仕事を創るか。それが、「次に何が売れるか」を考えることなのだと思います。大企業だから見えにくいけど、企業の本質は商売人。なのに、「先見性を持って次のビジネスを構想すること」の重要性を就活対策本は教えてくれない。一方で、日本の課題をもの凄いスピードで処理していく官僚には決定的に時間が足りない。経営者は一つ一つのビジネスをじっくり練るほど、意思決定に時間をかけられない。だからこそ、時間が腐るほどある大学生はそのまま企画書になるくらいの卒論を書けるだろ、と父は言うのです。世のため人のためになるような卒論を書け、と。考えてみれば、毎年50万人以上の卒論が提出される。その一つ一つが企画書になるような卒論であれば、確かに世の中ハッピーになるな、と思うわけです。

商売人として仕事を「創る」ために、好きなことを仕事にするために、大学の集大成となる卒論は大志を持って取り組むべし、と父に薫陶を受けた話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グローバル人材とは何かという話

最近、企業の説明会に行くと我社は「グローバル人材」を必要としています、と言われる。そんな「グローバル人材」になるために、多くの大学生が留学を志す。そして外資系企業に就職してトップスクールでMBAを取得し帰国する、らしい。

そんな絶賛「グローバル人材」に成長中の留学帰りの友人に感想を聞くと、「プレゼンの班が多国籍で○○人は全然仕事やらないし、もうほんと大変だった~」とか、「日本を俯瞰して見れた、海外で日本は全く注目されていない」とか言うわけです。いつも思うんですが、日本でアメリカの選挙戦を注目している人がどれだけいるのか、と。

一方で、留学して外国人のみの空間に飛び込むと、いつも使わない神経を使って戦闘モードになるんだろうな、と思います。言葉も文化も異質な国で一年くらいやり抜いた時、もの凄い達成感が得られるんだろうな、と留学をしたことの無い筆者は想像します。

この、慣れないものを経験した時の感覚って凄く大切だと思うんです。例えば、初めて女の子をナンパした時。一度足を止めさせたら、会話を続けなくちゃいけない。ドキドキと緊張がない交ぜになりながら、脳細胞をフル活性させて一生懸命言葉を紡ぐ。気づいたら女の子のメールアドレスが手元にあるとき、言いようのない達成感を噛みしめる。頭の芯が熱くなる。例えば、サッカー部でAチームの練習に混ぜてもらった時。ワンプレーワンプレーが激しい。パススピードが速い。ディフェンスの寄せが速い。そんな中、先輩から絶妙なパスが来る。トラップに全神経を集中させて、シュートする。ゴール。すると、体の芯から震えるような喜びが溢れ出す。

そんな感覚って何て表現すればいいんでしょう。「アハ体験」とでもしておきましょうか。反対に、「慣れ」が生じると良くない。「あ~、所詮こんなもんね」みたいな。そうなった途端、脳細胞の新陳代謝が無くなると思うんです。

 最近、筆者はこんな「アハ体験」をしました。「ブログをやって、広告収入で小遣いを稼げたらいいよね。」と文系の友人に話すと、「攻めのコンテンツで勝負したら。競馬レースで統計学を使って賭ける、みたいな。」と言われる。面白いと思うんですが、筆者と思考回路が一緒なわけです。これでは、「アハ体験」は起きない。ところが、他キャンパスのテクノロジーに強い友人に話すと、「だったらキャンパス中のパソコンをネットワークで繋げて、同時にクロールしながらアクセスしたらpv数が稼げるんじゃねーか」と顔を上気させて言うわけです。思考パターンがまるで違う。隣で「アドセンス IPアドレス」とか本気で調べている。聞いてみたら、彼は体育の人気授業を履修する為に、30秒置きに学校の履修登録ページをクロールし、キャンセルが出た瞬間に履修を申請するプログラムを書いて毎学期体育に励んでいる。こんな、こちらの想定を超えて来る人と出会った時、「思考の外」に出る。「アハ体験」をするわけです。

高校時代、カンボジアの大学生と話した時。「何で日本語を勉強しているの?」とこちらが聞く。すると、「カンボジアの経済はこのままでは、中国の操り人形のままだ。稼ぐ力をつけないと。まずは、農業を産業化する必要がある。」と言う。「カンボジアには、世界トップクラスの水利がある。なのに、農業は未だに牛馬を使って遅れている。きちんとした技術を持てば、農業で稼げる国になれるはずだ。その為に日本で灌漑技術を学びたい。だから、日本語を学んでいる」と真っすぐな瞳で見据えて来る。鳥肌が立った。本気で国を憂えて自分がフロントランナーとして、変革を起こそうとしている。そんな奴らがいるもんだと。

「ヒト・モノ・カネ」の移動が自由になった時代に、単なる移動だけじゃ意味がないと思うんです。岩倉使節団の頃とはわけが違います。大切なのは、「思考の外」に出ること。日本においても海外においても自分の想定を超える相手と出会った時、最高のアドレナリンがでる。頭と体の芯が熱くなる。勿論、コミュニケーションの手段として英語は大切だと思います。でも英語以前に自分との「違い」を本気で楽しめなければ、と思うんです。

服を買う時、店員が声をかけてくる。いつも無視する。自分がアパレル定員をやってみる。声をかけて無視されると、凄く傷つく。コンビニのレジをやってみる。釣銭を渡す時にお客さんの小さな「ありがとう」で元気になれる。いつも、家事で忙しそうな母親。自分が食事を作ってみると、洗い物の量に気が滅入る。立場を変えて日常生活を見るだけでいつもの自分との「違い」がある。すると、ちょっとした「アハ体験」をするわけです。

今、インターネットで海外の大学の授業が簡単に受けられるようになった。と同時に、国境が曖昧になって難民が溢れている。そんな時代のグローバル人材は、物理的な「国の外」だけでなく「思考の外」へ出かけることにワクワク出来る人、そして年をとっても尚一層楽しめる人が「真のグローバル人材」ではないか、という話でした。

 

 

 

 

 

 

 

これからの公認会計士は相続のマーケットを狙うべきという話

筆者の大学でも、行政書士公認会計士、弁護士の資格を取得する人はちらほらいます。が、時はビッグデータ人工知能の時代。契約書の電子化、財務会計クラウド上で監査され、異常な取引を人工知能が指摘する、そんな未来が来るかもしれない。現に、以下の記事の様な法曹分野の証拠開示手続きにおいて、少しづつ機械学習が使われています。

wired.jp

 では、こういったいわゆる「士業」が機械に駆逐されるのでしょうか。それはないと思います。なぜなら、手続きに「人情」が存在するからです。例えば、浮気調査で「クロ」と出ても、情けが生じて訴訟をしない。そこには機械がロジカルに割り切れない、時間をかけた交渉が必要なはずです。

大学の法律科目の講義中、筆者は思い付きました。これからの「士業」の専門家が目をつけるべきは、高齢者の相続手続きのマーケットではないかと。以下に理由を示します。

相続には多大な「人情」が生じる。

一般的に相続においてリーダーシップを張るのは長男です。故人の遺産の資産価値を算出し、オープンに公開する。長男のトップダウンで相続順位を決め、相続額を決める。大学の講義の例では土地の継承がある場合、継承された人が固定資産税を払う必要があるようです。当然、誰が税金を払い続けるか、という話にある。ここに、「人情」が生じるわけです。「故人の銀行口座をオープンにするのは忍びない」、「一度も実家に帰ってこない次男夫婦はけしからん」、という具合にです。そして、こういった相続の手続きをする肝心の長男が亡くなっていたりするわけです。長女がリーダーシップを張れるでしょうか。女性は右脳、つまり感情に左右されやすい傾向があります。「人情」を割り切ってトップダウンに手続きを実行できるとは考えにくい。では、誰がやるでしょうか。日本のトップ企業ですら、リーダー人材の不足が叫ばれている時代です。当然、親戚間でリーダーシップを張れる人材も不足しています。すると堂々巡りの会議が始まり、互いの批判が始まる。親戚同士が犬猿の仲になる。これだったら、故人が死に切れません。そして、ここでミソなのが「人情」を人工知能は読み取ることはできない、ということ。常にロジカルな最適解を示します。我々は人工知能の示す相続プランを採用するでしょうか。否、ここに人間の関わる余地があると思うんです。依頼を受けた第三者が公正にオープンにリーダーシップをとって遺産相続する、そういうニーズがあると思います。

「2030年問題」が近付いている。

少子高齢化が問題視されて久しいですが、あと15年後には「超高齢化社会」が近付いているわけです。以下の記事が主張するように、2030年には3人に1人が65歳以上の高齢者となり、少子化で働き手の負担が増えます。

たとえば、高齢化。日本は世界のフロントランナーとして高齢化の先頭をひた走る。2030年には人口は今より1000万人減って1億1000万人となり、 3人に1人が65歳以上のお年寄りとなる。働き手が減って経済成長できるのか、また、社会保障は持続可能なのか。多くの人が不安を抱いているに違いない。

2030年ニッポンの未来はどうなる? | 週刊東洋経済(ビジネス) | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

高齢者が爆発的に増えるからこそ、相続のマーケットが拡大するはず。子供がどんどん減るからこそ、相続をきちんとやりたい。そして、実家は地方の田舎、息子夫婦は都市にいる、そんな世帯も少なくない。だから、例えば話し合いにリモートサービスのテクノロジーを使う。帰省できない、リーダーシップを張りたくない、でもオープンに素早く相続したい、そんなニッチだけど王道のマーケットを取りに行くセンスがこれからの「士業」の人に必要だと思うのです。

最後に

「士業」の人に限ったことではありません。今の就活生にとって、「人工知能・超高齢化社会」と如何に付き合うか、そんな視点が必要だと思うんです。だって、今後の働き手の負担が増えるんですもん。だから、人口知能による生産性の向上を図る必要がある。

高齢者が増えて、日本市場がシュリンクする。モノが売れない、家が建たない、都市と地方の格差が進行する。そして、テクノロジーが進歩し人工知能に仕事を奪われる。今後の日本のビジネスシーンでは人工知能と高齢化が同じ文脈で語られるはずです。だからこそ、人工知能に出来ないことにリソースを集中する、高齢者の感じる価値を見極めるマーケット感覚が必要だと思います。

実際に戸建ての代わりにマンションが売れる、新築の代わりにリフォームする、以下のような「就活」ならぬ「終活」のニーズが増えるわけです。

www.excite.co.jp

こんな未来の閉塞感を吹き飛ばすような「逆転の発想」こそがイノベーションを生むと思うんです。課題先進国である日本経済のモデルケースを見て見やがれ、と海外に胸を張りたいじゃないですか。そういう意味で、これからの公認会計士は相続のマーケットを狙いにいったら、という話でした。

山岳部は就活最強の部活であるという話

筆者は2年半山岳部に所属していました。そこで得られた経験が凄く大きかったので、偉くなったら「大切なことは全て山岳部が教えてくれた」という本を書いてみたいものです。冗談は良しとして、日本の就活市場ではやはり体育会が強い傾向にあります。

gaishishukatsu.com

要するに、「愚直さ・体力・コミュニケーション能力」というビジネスマンの基本スキルが身につくことが評価ポイントだと思います。幹部はこれに加えて、OBなどの社会人との接点が日常的にあります。監督へのポイントを押さえた報告、お爺ちゃんOBへの接待といったビジネスライクな会話スキルを学んでいるため、面接段階で体育会の幹部学生は眩しく見えるはずです。

そんな就活猛者の体育会の中でも、山岳部で得られる経験やスキルはメジャー部活に引けをとらない、と筆者は思うわけです。いや、寧ろ最強ではないかとも思うわけです。まず、山岳部ってどんなところを登るの?という人が多いと思うので、筆者の山岳部時代の写真を紹介します。

川の下流から上流に向けて滝やゴルジュを超えて登頂します。主に夏シーズンにやり、焚火をしながら数日間かけて突破することもあります。沢の水が最高に気持ち良いです。

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フリークライミングと似ているのですが、ロープの支点やボルトが無い場合が多く岩角などにスリングを括って即席支点を作ることが多いです。岩壁に辿り着くまでのアプローチに雪渓のような登山ライクな難所が出てくることもあります。

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山岳部の王道、冬山登山。これをよりグレードアップさせたものが冬壁といって、上記のアルパインライミングを冬山でやる登山スタイルもあります。山野井泰史さんのような日本を代表する登山家がこういったスタイルでヒマラヤに挑戦しています。

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 こういった大自然に身一つで挑戦する、浪漫あふれるアクテビティーを全力でやる環境が山岳部にあるのです。以下にビジネスシーンに通用するスキルを3点紹介します。

PDCAサイクルを高速で回しまくる。

よく意識高い系の学生が「PDCAを回しまくってさ~」と聞いたことありませんか?それです。「Plan→Do→Check→Act」のサイクルで業務管理する手法です。山岳部ではこれを高速で回します。だって、絶対に死にたくないですもん。具体的には、年度目標とする登山を成功させるために戦略を立てます。「ステップバイステップ」にチームの実力と目標との距離を測りながら、適切なステップを設定します。長期的な視点だけでなく、短期的な視点で目の前の登山計画をどうやって成功させるか、戦術を考えます。「日程に余裕を持たせてみるか」それとも「短期決戦で行くか」、「荷物に何を持っていくか」、いろんな策を練ります。それをコーチにプレゼンテーションし、成功への確信を訴えるわけです。そして、帰ってきたら反省をしてまた繰り返しです。学生時代にこれほどPDCAサイクルを重要視するのは、山岳部ぐらいじゃないでしょうか。

想定外のリスクへの対応力がつく。

筆者の山岳部には「重装主義」という概念があり、プランニングを徹底し「想定を重ねて」登頂することを指します。「答え合わせのために登る」というやつです。山岳部の山登りは上に紹介したような登山道ではないバリエーションルートを志向します。当然、いろんなリスクが伴います。沢登りでは突発的な水位の上昇、冬山では爆弾低気圧による雪崩、色々です。山岳部のプランニングは、失敗を前提に多種多様なリスクを想定しそれをカバーできる戦術を練り上げるのです。が、現場にいけば想定外がたくさん生じます。例えば、後輩がテントの中で発狂し失踪する、落石でロープに宙吊りになる、吹雪でルートが分からなくなる、様々です。こういった場面に直面した時、「思考停止」 していたら帰ってこれないわけです。寒くて震える、高度障害が出て頭が痛い、疲れた、リーダーは弱音を吐けません。「絶対に安全に下山する」という強烈な意志で頭を動かし打開策を打ち出す、そんな想定外のリスクへの対応に優れた素晴らしいリーダーが先輩にいました。

リーダーシップの神髄を学ぶことができる。

昨今、日本のリーダー人材が不足しているという話はよく聞きますが、そもそもリーダーシップとは何なのでしょう。偉大な山岳部OBが「リーダーシップとは、背筋を伸ばして背中を見せて背中を押すことだ」と言っていました。つまり率先垂範で逞しい背中を見せて、後輩の成長のためにそっと背中を押す。どちらかといえば組織運営のリーダーシップでしょうか。一方で先輩が「リーダーシップとは情熱を持って目標に執着すること」と言っていました。これはプロジェクトマネージメントのリーダーシップと言うべきでしょうか。どちらも根底にあるのは、「その登山を成功させたい」という迸る熱いパッションです。現役時代、よく人から「なぜ山を登るのか」と問われました。サッカー、野球をやっている人に同様の質問をするでしょうか。しないでしょう。一方で、山岳部のコーチへのプレゼンでは、「なぜその山に登りたいのか」「なぜそいつと登るのか」を徹底的に問われます。「目標達成の執着心」が安全に帰ってこれるかを左右するからです。厳しい大自然に挑むからこそ、登る人間の熱い気持ちが成功に不可欠なのです。勿論、左脳を使ってプランニングすることも大切です。しかし、現場で起きることの大半が想定外ばかりです。究極の環境下では右脳が左脳を動かし、情熱が人を動かします。社会人経験はありませんが、きっとこれがリーダーシップの神髄なんだろうなと思います。

最後に

山岳部出身の政治家、社長は多いです。自民党谷垣禎一氏が有名です。

マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた伊賀泰代氏が採用基準として、

マッキンゼーをはじめとする外資系企業の多くでは、すべての社員に高いレベルのリーダーシップを求めます。アメリカの場合は、大学や大学院の入学判定に使われる小論文でも、過去のリーダーシップ体験は常に問われる最重要項目なのです。

採用基準 | 伊賀 泰代 | 本 | Amazon.co.jp

と述べ、リーダー経験の重要性を主張しています。山岳部ではリーダーシップは勿論のこと、「リーダーシップとフォロワーシップ」を大切にし後輩フォロワーに対してもリーダーの役割を理解した上での立ち回りを求めます。山岳部員は「どの山を/どのように/誰と登るのか」というビジネスシーンで不可欠な思考体力を身に着けるわけです。就活シーンではサークルのリーダーが乱立するようですが、リーダーシップの理論と実践を繰り返し学ぶ場として山岳部は最高の環境ではないでしょうか。

山岳部の戦うフィールドは大自然。行き先は無限大。海外登山に挑戦するだけのOBネットワークとその経験の蓄積がある。「知力・気力・体力」を駆使し誰も挑戦したことのない「パイオニアワーク」を夢見て、本気で登山に打ち込む大学ライフも悪くない。圧倒的成長をしたい、人と違う経験をしたい、自然が大好き、な新入生は山岳部の門を叩いてみたら、という話でした。